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縄文時代から人々が暮らし、室町時代頃から大いに発展した鹿児島県は、中国、朝鮮、東南アジアと盛んに交易を行ってきただけではなく、日本で始めて鉄砲やキリスト教が伝わった地として知られています。

そのため、鹿児島県には国内で作られた工芸品はもちろん、中国や朝鮮半島由来の骨董品や古美術品などが残されており、遺品整理や蔵整理などの際に見つかることがあります。

一見するとそれほど価値がないように見えても思わぬ価値がつくことがありますので、売却を検討している古い陶磁器や工芸品、茶道具などがございましたらぜひご相談ください。

専門的な知識と豊富な経験を持つ査定士が価値を判断し、適正な買取額を提示させていただきます。

鹿児島県での買取事例

    鹿児島県の買取事例一覧

    鹿児島県にゆかりのある骨董品

    薩摩切子

    薩摩切子は幕末から明治初頭の薩摩藩で作られたカットガラスです。十代薩摩藩主島津斉興によって始められ、十一代藩主島津斉彬がアジア初の近代的西洋式工場群「集成館事業」の一環としました。 厚みのあるガラスをカットしてグラデーションを表現したり細かな紋様を刻んだりする薩摩切子は、その美しさから献上品として珍重されてきましたが、集成館事業の縮小や薩英戦争、幕末維新から西南戦争などの影響から技術が途絶えてしまいました。 現在、江戸切子の技法などを参考にして作られた復刻版の薩摩切子が作られていますが、復刻前の古い薩摩切子は希少性が高く、骨董市場でも高額で取引されています。

    薩摩焼

    薩摩焼は、16世紀から鹿児島県内で焼かれ始めた陶磁器で、豪華絢爛な色絵錦手の「白薩摩」と、大衆向けの「黒薩摩」に大きく分けられます。 白薩摩は、藩主向けの御用窯で焼かれた、豪華絢爛な色絵錦手が特徴です。象牙質のクリーム色の生地に金、赤、緑、紫、黄などで絵付けが施されており、海外でも「SATSUMA」と呼ばれるなど高い人気を得ています。 黒薩摩は大衆用の日用雑器として焼かれていた陶器です。重厚でどっしりとしており、土瓶、湯呑、皿などの雑器が作られています。

    鹿児島県にゆかりのある作家・作品

    山口長男(やまぐちたけお)

    山口長男は1902年に現在の韓国ソウルで生まれた画家です。 19歳で東京に移住して本郷洋画研究所で絵を学び、その翌年から東京美術学校にも通学しました。1927年に東京美術学校を卒業後、渡仏してパブロ・ピカソやジョルジュ・ブラックに代表される抽象画を学んだほか、彫刻家のオシップ・ザッキンのアトリエにも通い、抽象画家としての作風を確立し始めました。パリから帰国すると韓国の京城に拠点を移して画家として本格的な活動を始め、1931年の第22回二科展で「二人像」「彫像」が入選します。1946年に日本に帰国。戦後もアーティスト活動を続け、1954年の第18回アメリカ抽象美術展をきっかけに海外からも高く評価されました。画家としてだけではなく、武蔵野美術大学の教授として教鞭をとるなど、日本の戦後抽象絵画の開拓者として知られています。

    東郷青児

    東郷青児は1897年に鹿児島県鹿児島市で生まれた洋画家です。青山学院中等部を卒業後、竹下夢二が開いた「港屋絵草紙店」に出入りして下絵描きなどを手伝い、その後、画家の有馬生馬に師事、1916年の第三回二科展に初出品した「パラソルさせる女」が二科賞を受賞します。1921年に渡仏して絵を学ぶ傍ら装飾デザイナーとして働き、1928年に帰国してからは二科会で活動しました。 柔らかな曲線と色調で描かれた女性像が特に有名で、その作品は本や雑誌、包装紙などに多数使われています。

    海老原喜之助

    海老原喜之助は1904年に鹿児島県鹿児島市で生まれた画家です。志布志中卒業後、上京してフランス語を学びながら川端画学校で絵画を学び、1923年に19歳で単身渡仏します。パリで画家の藤田嗣治に師事し、フランスから第十回二科展に出品した作品が初入選。さらに、翌年にはサロン・ドートンヌに初入選を果たします。1927年にフランスの画商、アンリ・ピエール・ロシェと契約して制作に励み、翌年にはニューヨークで初めての個展を開催しました。1934年に帰国して活動を続けますが、戦後は一時的に活動を休止。1950年に南日本文化賞を受賞して熊本市へ移転、九州に拠点を移して画業を再開しました。 「エビハラ。ブルー」と呼ばれる鮮やかな青を基調とした作品を数多く残しており、「曲馬」に代表される馬をモチーフとした作品が特に有名です。

    吉井淳二

    吉井淳二は1904年に鹿児島県曽於市で生まれた洋画家です。1929年に東京美術学校洋画科を卒業し、制作活動を続け、1940年に二科会会員に就任。1961年には二科会の理事に就任しました。「踏切風景」「帽子を被る女」「屋久の娘」「浜の女たち」「水汲」「市場にて」「前田久吉像」「フェイラ」「村の休憩所」など、庶民の生活風景を題材とした明るい色調の質実な作品を残しています。

    西郷南洲

    西郷南洲は幕末から明治初期にかけて活躍した偉人、西郷隆盛の雅号です。西郷隆盛は政治家や軍人として有名な人物ですが書も嗜んでおり、座右の銘である「敬天愛人」の他、「白髪三千丈」などの漢詩も揮毫しています。西郷南洲の書はどっしりとした力強い筆致から人気があり、知名度や希少性も高いため非常に高い価値がつきます。

    沈壽官(ちんじゅかん)

    沈壽官は、鹿児島県日置市東市来町美山に窯元を置く薩摩焼の名窯「沈壽官窯」の当主の名前です。慶長の役の際に島津義弘によって朝鮮国から連行された陶工 沈当吉を始祖としており、苗代川系の薩摩焼(苗代川焼)を代々手掛けてきました。 第二代の沈当壽と第三代の陶一は藩の陶器所を主宰するほど優れた技術を持っていた他、第六代の当官の時代からは藩の公共事業に携わる郷役役人を兼ねるなど、幅広く活躍してきました。藩の保護が失われた明治時代、薩摩焼の窯が次々に閉鎖される中、沈壽官窯は薩摩焼生産の近代化に尽力するとともに、ウィーン万博など数々の万国博覧会や内国勧業博覧会などに出品を重ねて、海外販路の拡大することに成功します。 第十二代沈壽官の頃までは当主が襲名する習わしはありませんでしたが、1906年に第十二代沈壽官が死去し、その長男が当主となるとともに「沈壽官」の名を継いで以来、当主は代々「沈壽官」の名を襲名することとなりました。

    黒田清輝

    黒田清輝は1866年に鹿児島県鹿児島市で生まれた洋画家で、教育者や政治家としても活躍した人物です。17歳で法律の勉学を目的にフランスに留学しましたが、パリで画家の山本芳翠や藤雅三、美術商の林忠正に出会い、二年後の1886年に絵画に転向してフランス人画家ラファエル・コランに師事。留学中の九年間で印象派の外光表現を学び、1893年に帰国して日本に広めます。東京美術学校西洋画科の教員となって後進を育成し、日本の洋画の方向性を決定づけたともいわれています。 印象派の影響を受けた外光派と呼ばれる作風が特徴で、「朝妝」「昔語り」「湖畔」など有事な作品を残しています。

    藤島武二

    藤島武二は1867年に現在の鹿児島市池之上町の薩摩藩士の家に生まれた洋画家で、帝室技芸員にも任命された人物です。四条派の画家や川端玉章から日本画を学びましたが、24歳の時に洋画に転向。松岡寿、山本芳翠らに師事します。1896年には黒田清輝の推薦で東京美術学校助教授に推され、以降は同校で後進の指導にあたりました。 ロマン主義的な作風の作品を多く残しており、「天平の面影」「黒扇」など気品のある女性像を数多く残しました。また、与謝野鉄幹・晶子が刊行した雑誌「明星」や、与謝野晶子の歌集「みだれ髪」の表紙ではアール・ヌーヴォーを取り入れた作品を描いています。また、昭和天皇即位を祝い学問所を飾る油彩画制作と、宮中花蔭亭を飾る壁面添付作品の制作が切っ掛けで風景画の制作にも取り組んでいます。

    和田英作

    和田英作は1874年に鹿児島県で生まれた洋画家であり、教育者でもある人物です。 1887年に明治学院予科に入学して上杉熊松に洋画の基礎を学び、内国勧業博覧会で原田直次郎や曽山幸彦の絵を見たことで本格的に洋画を学ぶことを決めます。1891年に明治学院を中退して曽山幸彦の洋画塾に入塾。1892年に原田直次郎の洋画塾に移り、1895年に第四回内国勧業博覧会に出品した「海辺の早春」が2等賞を得ました。 1898年にパリに留学し、ラファエル・コランに木炭画と油絵を、ウジェーヌ・グラッセに装飾美術を学びます。万国博覧会には「夕暮」と「機織」を出品し、選外佳作賞を受けます。帰国後は東京美術学校教授に就任し、以後、文展、帝展、光風会展と官展を中心に出品を続けました。 1904年のセントルイス万国博覧会では「風景」を出品。1908年には第二回文展に「おうな」を出品するなど日本はもちろん海外でも活躍します。1911年には帝国劇場の客席天井に天女の壁画を製作しました。

    鹿児島県の骨董品買取可能エリア

    鹿児島県の市

    鹿児島市、南九州市、鹿屋市、指宿市、阿久根市、出水市、枕崎市、垂水市、西之表市、日置市、曽於市、姶良市、薩摩川内市、いちき串木野市、霧島市、志布志市、奄美市、南さつま市、伊佐市

    鹿児島県の町村郡

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    買取品目

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