脇差 洛陽一条堀川国廣 江戸時代前期



洛陽一条堀川国廣の脇差です。体配は、身幅尋常で重ねが厚く、反りが少ないバランス良い体配です。地鉄は、小板目肌で肌立ち気味のざんぐり肌にみえます。刃紋は、湾刃で小沸出来に足がよく入り極めて健全です。帽子は、先が若干崩れ丸く反り、茎は生ぶで朽ち込み錆びが出ていて状態は良くないです。 以上の事から大変良く出来た偽銘と判断します。本作は偽銘とはいえ「ざんぐり肌」や刃中の足の入り方、刀身の出来、から見て銘が無ければ、無銘、伝 「国安」「国壽」等として、堀川一門の名工の鑑定書が付く作域であるといえる作品です。 堀川国廣は、江戸時代に長曽弥虎徹と並び称される名工で、日向(現宮崎県)国に生まれ、伊東家に仕え作刀していました。伊東家滅亡の後は「上杉謙信」、「豊臣秀吉」、「石田三成」、と名だたる武将に仕え、埋忠明寿の門人を経て慶長三年頃、70歳の時に京都一条堀川に定住します。以後、門人の育成に尽力して八十四歳でなくなりました。かの相州正宗に勝るとも劣らない教育者として、門下に数々の名工が名を連ねています。 作域は埋忠明寿の門人なのに山城伝はほぼ残されておらず、現存する作品のほとんどが相州伝で、反り浅く身幅広く、重ね厚く、切先の延びた相州伝上位工を狙って作刀しています。また「国安」は国廣の弟で、「国壽」は国廣の甥となり、どちらも新刀期の第一人者として国廣に似た作域の刀を残しています。特に国安は国廣に似るが、やや優しい作風で、刃紋は直刃仕立のおとなしい作品が多く、国廣の代作を相当数作刀したようで、晩年に古作の偽物を作刀し、国廣から一派を追放されたと云われています。本作はまさにこの偽物ではないかと思われます。

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