今注目の現代アート作家
24人のまとめ

現在オークションで高値で取引され、世界的にも注目されている代表的な現代アート作家をご紹介いたします。

坂本 繁二郎(SAKAMOTO Hanjiro)

1882年に福岡県の久留米で生まれ、「馬の画家」と呼ばれたほど多くの馬の絵を残した画家です。10歳の時に洋画家の森三美が主催する画塾に入門。繁二郎の絵は評判となり、神童と呼ばれるようになります。坂本繁二郎は、いつもある画家と比べられていました。それが、天才と呼ばれ、わずか28歳で夭折した青木繁です。同い年で、同じ画塾に通った2人は、宿命のライバルにして友人でした。「天才」という印象の青木に対し、「凡人」「晩成」の坂本繁二郎。39歳にして絵画修業のためフランスヘ留学。留学から戻った後は、福岡県の八女を終の住処と決めて、アトリエを建てます。そこで、のびのびと、自由に生きる馬たちの姿を、坂本繁二郎は描き続けました。

キース・ヘリング(Keith HARING)

1958年に生まれ、若くして亡くなったアメリカの代表的芸術家。ストリートアートの先駆者とも呼ばれています。シンプルな線と色とで構成された彼の絵は日本でも人気があり、キースの作品をプリントしたTシャツやグッズが有名。ニューヨーク地下鉄構内の広告掲示板にチョークで絵を描き、地下鉄の利用者の間で名前が知られるようになりました。自身がHIV感染者であったことから、作品を通じてAIDS撲滅活動に積極的に関わりました。AIDSの合併症で31歳の若さでこの世を去っています。

アンディ・ウォーホル(Andy WARHOL)

1928年生まれ、アメリカのポップアートの旗手。「キャンベルのスープ缶」やマリリン・モンローの肖像画などが有名なアーティスト。名画の並ぶ美術の教科書でもひときわ目立つ存在であり、印象に残っている人も多いかと思いますが、当時精神性やメッセージが込められた絵画の世界に、スープ缶やハリウッドスターといった大衆的な主題を持ち込んで美術作品として発表しました。シルクスクリーンプリントで大量生産を行い、特に目を引く蛍光色を使ったポップアートの手法は、経済成長ただ中のアメリカのニーズとマッチしました。現代の広告ビジネスでもポップアートは多用されています。

荻須 高徳(OGISU Takanori)

1901年、愛知県出身の洋画家。25歳でフランスへ渡り、画家としての活動の大半をフランスのパリで過ごし、歴史の染み渡る古い石造りの建物やパリの裏町、名もない食品店などを描きました。作品には人物が登場しませんが、そこで生活する息づかいが聞こえてくるような作風です。フランスの大統領となったシラク・パリ市長(当時)は「最もフランス的な日本人」と彼を評しました。近年その評価はますます高まっていて、室内に飾ることで雰囲気ががらりと変わります。

横山 大観(YOKOYAMA Taikan)

1868年生まれ、茨城県出身の日本画家。西洋画の画法を取り入れた新たな日本画の研究を重ね、やがて線描を大胆に抑えた没線描法の名作を次々に発表しました。当時の画壇の守旧派から猛烈な批判を浴びましたが、インド、アメリカ、イギリス、ドイツ、フランスで展覧会を開き、世界的に認められました。欧米の高い評価を受けて日本でも評価されるようになっていきました。近代日本画壇において最も有名な画家とも言え、数多くの贋作も発見されております。

ベルナール・ビュッフェ(Bernard BUFFET)

1928年パリ生まれ。黒い描線と抑制された色彩によって第二次世界大戦後の不安感や虚無感を描出し、世界中の人々の共感を呼びました。1950年代半ばには日本でも頻繁に紹介されました。日本の美術界は抽象画全盛の季節を迎えていましたが、ビュフェの黒い直線と強烈な表現に衝撃を受けた芸術家は少なくありませんでした。

千住 博(SENJU Hiroshi)

1958年東京生まれの日本画家。1995年、創立100周年のヴェネツィア・ビエンナーレ優秀賞受賞以降も、世界中の様々な賞の受賞歴を持ちます。岩絵の具による背景に白い胡粉を上から下に流すことで水を表現した千住さんの滝の絵が有名。死後評価されることの多い芸術家の中で、海外からも日本の画壇からも評価が高い。壁一面に描かれた作品は現在、羽田空港や博多駅、グランドハイアット東京、薬師寺などでも見ることができます。

棟方 志功(MUNAKATA Shiko)

1901年、愛知県出身の洋画家。25歳でフランスへ渡り、画家としての活動の大半をフランスのパリで過ごし、歴史の染み渡る古い石造りの建物やパリの裏町、名もない食品店などを描きました。作品には人物が登場しませんが、そこで生活する息づかいが聞こえてくるような作風です。フランスの大統領となったシラク・パリ市長(当時)は「最もフランス的な日本人」と彼を評しました。近年その評価はますます高まっていて、室内に飾ることで雰囲気ががらりと変わります。

香月 泰男(KAZUKI Yasuo)

1911年山口県生まれ。1945年、34歳の当時、敗戦後にシベリアに抑留。1年半に渡り強制労働を課され、飢えと寒さと過労という極限状態を経験しました。自らが体験した太平洋戦争とシベリア抑留をテーマとする一連の油彩画「シベリア・シリーズ」は、言葉にできないシベリア抑留の過酷な体験を生き抜き、直視した人間の力強さが伝わってきます。

アンリ・マチス(Henri MATISSE)

1869年生まれ、フランスの画家。大胆な色使いが特徴で、「色彩の魔術師」と謳われ、緑あふれる世界を描き続けました。1905年のサロン・ドートンヌに出品した「帽子の女」はセンセーションを起こし、フォーヴィスムを切り開いた前衛芸術家。ピカソとは終世の友であり、ライバルでもありました。ピカソが形体の破壊と再創造に取り組んだのに対して、マチスは色彩の解放をしたことで知られています。

藤田 嗣治(FUJITA Tsuguharu)

1886年東京生まれ。第一次世界大戦前よりフランスのパリで活動、猫と女を得意な画題とし、日本画の技法を油彩画に取り入れつつ、独自の「乳白色の肌」とよばれた裸婦像などは西洋画壇の絶賛を浴びたエコール・ド・パリの代表的な画家です。第二次世界大戦では日本で多くの戦争画を残し、特に「アッツ島の玉砕」の絵が有名です。その他百余点の絵を残していますが、貴重な戦時記録ともなっています。戦後には、多くの戦争画を描いたことから画家仲間に多くの誹謗中傷を浴びました。その後フランスに渡り、帰化しました。

古吉 弘(FURUYOSHI Hiroshi)

1959年広島生まれ。リアルな描写と西洋的な画風を得意とし、2013年にはクリスティーズで£52275(815万円)で落札されている人気作家です。アンティーク衣装を纏った外国人の少年少女を一貫して描き続け、服の質感、表情、髪など細部まで精緻な筆致で描かれています。

長谷川 潔(HASEGAWA Kiyoshi)

1891年横浜生まれ。彼の銅版画は“ビロードの肌”と呼ばれ、黒色が美しく、世界中の芸術家たちがこの黒色に魅了されました。試行錯誤を重ね、独学で銅版画を会得していきました。「マニエール・ノワール」という技法を近代的な形で蘇らせ、独自の様式として確立し、芸術的な域まで高めました。27歳でフランスに渡って以来、一度も日本には戻ってきていません。

J. P. カシニョール(Jean-Pierre CASSIGNEUL)

1935年フランス生まれ。ジャン・ピエール・カシニョールは現代フランス画壇を代表する作家として知られています。作品の特徴である帽子をかぶった女性像や背景を彩る花々は、甘美さとノスタルジックな雰囲気を持ち合わせ、日本でも圧倒的な支持を受けている現代人気作家の一人です。

川合 玉堂(KAWAI Gyokudo)

1873年愛知県生まれ。日本の明治から昭和にかけて活躍した日本画家。理想郷を描くものとされていた山水画の伝統を一変させ、人の暮らしと自然が調和した日本の山村風景画を確立した画家です。その作品を見ると、一度も行ったことがなくてもどこか懐かしい感覚を覚えます。一般的には画家は一人の師につきますが、玉堂は三人の師のもとで研鑽し、伝統的な筆線をあやつりながら、西洋画も取り入れた新しい山水画を描きました。

中川 一政(NAKAGAWA Kazumasa)

1893年東京生まれ。97年の生涯、すべて独学で絵の道を突き進みました。手がけた仕事は洋画、水墨画、版画、陶芸、詩作、和歌、随筆、書など多岐を極めました。中川画伯は、絵の道を確立していく中で、東洋美術の深い精神性、主観的な表現といったものを自分の血肉として取り入れていき、豪快な筆使いと鮮やかな原色対比、大きな画面構成といった主観性あふれるダイナミックな画風がその特徴です。

石崎 光瑤(ISHIZAKI Koyo)

1884年富山県生まれ。写実に基づく鮮やかで装飾的な花鳥画を得意としました。山岳を好んだ光瑤はヒマラヤの大連峰とインドの古蹟を訪ね、インドで吸収したまばゆいほどの鮮烈な色彩と生命力を表現しました。2017年には光瑤が描いた高野山金剛峯寺のふすま絵が特別公開されました。12枚の絵を横一列に並べて展示し、全体の長さは17メートルにもなる大作でした。今も鮮やかな色彩をとどめる壮大な絵です。

片岡 球子(KATAOKA Tamako)

1905年札幌生まれ。画家志望に反対する両親から勘当されながら画業を進め、「面構」という、戦国武将や禅僧、浮世絵師など、作家が共感を寄せた歴史上の人物のひととなりを描いたシリーズを発表しました。彼らが「現代に生きていたら、どんな行動をするか」という視点から着想して、その人物の肖像画や同時代の風俗を参照しながら、独自の解釈を加えて表現しています。このほかに、「富士山」や「裸婦」などをテーマとした作品があり、いずれも鮮烈な色彩と大胆な造形感覚を特徴とし、日本画壇に限らず広く現代の絵画に造形上の問いを投げかけてきました。

田中 敦子(TANAKA Atsuko)

1932年大阪生まれ。具体の理念と活動を体現した女性作家として、その芸術活動の先見性が見直されている。回顧展『田中敦子―アート・オブ・コネクティング』は、2011年に英国のアイコンギャラリーからスペインのカステジョン現代美術センターに巡回し、今年2月~5月にかけて東京都現代美術館でも開催された。初期から晩年の作品約100点の展示では、田中が具体の活動に留まらない独自性と革新性を持ち続けた作家であったことが示された。

絹谷 幸二(KINUTANI Koji)

1943年奈良生まれ。1971年イタリアに渡り、ヴェネツィア、ローマでフレスコ画の研究に専念、1973年に帰国してからは一時期、高松塚古墳の壁画修復でも活躍しました。古典的技法であるフレスコ画を現代に甦らせた独創的な画風は、長野冬季オリンピック公式ポスターでもお馴染みです。梅田スカイビル27階に最新型ミュージアム「天空美術館」が開設されています。

東山 魁夷(HIGASHIYAMA Kaii)

1908年横浜生まれ。深い情感をたたえた風景画により、戦後の日本画の世界に大きな足跡を残しました。終戦近くに召集を受け、爆弾を抱えて敵陣へ飛び込む特訓の合間に、彼は熊本城へと走らされました。自らの死を目の前にして眺めたその時の風景に、魁夷の心には今までになかった感動が湧きあがりました。「・・・どうしてこれを描かなかったのだろうか。今はもう絵を描くという望みはおろか、生きる希望も無くなったというのに・・・」汗と埃にまみれて、彼は泣きながら走り続けました。全てあるがままをうつす静かな心境・・・これが結実し初めての評価を受けた作品が、「残照」でした。戦争のさなか開眼し、確かに自然の息吹を捉え、数々の名作を生み出しました。

山形 博導(YAMAGATA Hiromichi)

1948年滋賀県生まれ。ヒロ・ヤマガタとして世界的に有名なアーティスト。1978年、ロサンゼルスに移住した後、版画的技法のシルクスクリーンで、100色以上もの色を散りばめた鮮やかな多色作風により、一躍その名を馳せました。彼の作品の多くは、シルクスクリーンによる鮮烈な色彩が非常に印象的である一方で、作品中の細部の人物の顔など間近で見ないとわからないところまで緻密に描写されています。レーザーやホログラムを使った現代美術家として知られています。ディズニー絵画でも有名。

東郷 青児(TOGO Seiji)

1897年鹿児島県生まれ。18歳の時の初個展で「未来派風」の前衛的な新人として注目されたのち、夢見るような甘い女性像が人気を博し、本や雑誌、包装紙などに多数使われ、昭和の美人画家として戦後一世を風靡しました。昭和のモダン文化を彩るデザインの仕事、さらには美と抒情を統合した比類ない女性像まで、生涯にわたってさまざまな造形的挑戦を続けました。

范 曽(ハン・ソウ)(FAN Zeng)

1938年中国 江蘇省生まれ。中国人画家の作品は高い評価と注目を集めていますが、中でも范曽は豊かな歴史的素養に基づいた人物画と、格調高い書に加え、詩や文章にも通じた“三絶の人”と称えられています。下書き無しで一気に描き上げる圧倒的で豪放な筆致が特徴です。中国本国にも存在しない「范曽美術館」は、毎年2月第三土曜日の西大寺観音院会陽の行事にあわせて、3日間のみ開館します。

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