脇差 無銘 伝肥前新刀 江戸時代後期 刀剣

無銘の脇差です。体配は尋常重ね厚い、反りも程よく付き切先が延びた姿の良い体配。 地鉄は板目肌で一部大板目肌が混じり縮緬肌。刃紋は匂出来直刃を基調とし、足、砂流が入る。帽子は小丸に返りやや乱れ込みが見える。茎は産だが状態は良く無い。

上記から見て肥前の新刀、忠国の後代あたりの作品だと思われます。肥前忠国初代は慶長三年(1598)生で初代忠吉の門人、その後三代までの作品が多く残されています。肥前刀は佐賀鍋島藩の庇護のもと新刀期に最も繁栄し、鍋島藩の輸出産業として鍋島焼と共に活躍しました。新刀期の刀で現存する物の半分ちかくは肥前刀だと言っても過言では無いくらい多くの刀を世に送り出しています。作風は山城伝の来一派の作風を狙って造られた物が多く見られます。

また古刀期の備前岡山の長船一派に似た刀工集団として効率良く質の良い刀を造っています。肥前の作刀方法は南蛮鉄を使い、新しい技術を用い、芯鉄を多く使用することで単価の高い被鉄の使用料を減らす等の合理的な手腕もみせ、品質管理にも優れ、刀の出来のバラツキが少ない事でも知られています。

この新時代の刀は、豊後高田一派、筑前信国一派、等の九州各国の刀工にも大きな影響を与え、似通った作風の刀が各地で造られる様になり、新刀期、新々刀期の代表的な作風となっていきます。肥前の刀工は最上作で最上大業物刀工の初代忠吉を筆頭に、九代まで続く忠吉本家、正広一門、行広一門、忠国一門、と数多くの高名な刀工を輩出しています。

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2018-08-19T11:41:57+00:00