無銘の脇差です。体配は身幅広く重ねが薄め、反りやや深く元幅と先幅の差が少なく中切先となる。地鉄は板目に杢目がが混じり映りが僅かにみえる。刃紋はのたれに互の目乱れ、沸、匂、どちらも出て足が入る。帽子は尖り気味でやや乱れる。茎は産の無銘で一寸の区送りがされている。
備前の脇差で、応永頃から室町時代末期の間の末古刀でしょう。決定的な特徴が見られず、細かな時代判別、個銘特定の難しい脇差です。鑑定書をとると「備前刀(室町時代末)」と極められるのでしょう。
備前伝とは、古くは平安時代から廃刀令が出る明治期まで続き、「刀剣王国」として君臨します。備前国は、砂鉄、木炭、水、と日本刀を造るのに必要不可欠な材料が豊富にあり、刀工の数は銘鑑に載っている古刀期の刀工だけをみても1200人以上を数え、相州伝、山城伝、美濃伝、大和伝、の総数より圧倒的に多くなっています。
備前の刀工達は時代時代の刀の用途、流行を上手に取り入れ、全国の需要に応えて大きく発展しました。また備前刀は時代背景に合わせた、その時々の武士達に受けの良い作品を臨機応変に造りました。本作は状態が良いとは言えませんが、実戦で曲がったであろう刀身を修正した後があったり、研ぎを繰り返した形跡があったりと、戦国時代を感じさせてくれる感慨深い一振りです。